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Your search : [ author:写真 陸軻] Total 3402 Search Results,Processed in 0.094 second(s)
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1. いま 人間はボクらに螳螂(とうろう)之(の)斧(おの)をふるってもらいたいんだって
それで、王同貴さんは結婚もしないでカマキリの飼育に夢中なんだ。カマキリは、害虫のアリマキをテントウ虫の何倍も食うし、イナゴ、ガ、ハエなんかも、強い前あしで殺してしまう。農作物や果樹や森林の害虫を退治するために、カマキリの大軍を人工的に飼育できないだろうか。王さんがカマキリに熱いまなざしを向けたのは一九八二年だった。王さんは猛勉強をはじめ、中国昆虫学会理事長で中山大学生物学科主任の蒲蟄竜先生の指導を
Author: 写真 陸軻 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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2. 貝殻を組み合わせた竜の文様 7000年前の仰韶文化遺跡で出土
エト年は、正確にいうと旧暦の正月(中国では春節)から改まる。つまり、ことしは陽暦の二月十七日から竜年になったわけで、中国では一~二月とひきつづいて、竜にまつわる報道がマスコミをにぎわした。そのなかでも、人々をうならせ、学問的にもショッキングな話題をよんだのが、ここに紹介する七千年前の竜―貝殻で細工した竜の文様(写真左)であった。これは、昨年五月いらい発掘がすすめられていた河南省濮陽市(殷墟のある安
Author: 写真 陸軻 Year 1988 Issue 4 PDF HTML
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3. 宋代汝磁器の窯場確認される陶磁器史の一大懸案解決
河南省文物局は一月二十一日、「中国古陶磁器研究会は、宋代の汝(じょ)磁器の官製の窯場が河南省宝豊県清涼寺村にあったことを確認した。ここから出土した一連の磁器は、明らかに北宋の御用達の品である」と、発表した。これによって、宋代の五大名磁器の源がすべて明らかとなり、わが国陶磁器史の一大懸案が解決を見たことになる。宋代の五大名磁器とは、汝·官·哥·鈞·定のこと。汝の磁器は、古代の汝州(今の河南省臨汝一帯
Author: 写真 陸軻 Year 1988 Issue 5 PDF HTML
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4. 七里営人民公社
Author: 撮影/丁再興 陸軻 Year 1973 Issue 12 PDF HTML
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6. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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7. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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8. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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9. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML